別冊太陽 太陽の地図帖「地獄絵を旅する」

久しぶりに読書。ムックですけど。
その名も「地獄絵を旅する」。
だいぶおどろおどろしい。


生ける屍に洗脳されているわけではないですが、地獄という世界に昔から魅力は感じていました。怖いもの見たさと言うか。そんな自分のような人間の先駆けが過去にいまして。その方は好きな人追っかけて黄泉の扉あけちゃったスサノオっていう人(神)なんですが。それはさておき。


扉を開いてみると、意外に深い地獄の道。
地獄という世界に行くだけでたくさんのお作法があります。
(さすが仏教/偏見です)


まず、お亡くなりになって十王(閻魔さんの仲間)と面談したりするんですけど、
三途の川を渡る前に船賃を持ってない人は脱衣婆に服を脱がされます。

第一関門。
そんで脱衣婆はだいぶはだけてます。
歳取ると恥じらいがないのか。
恥じらいなどいらないぐらいに三途の川周辺は暑いのか。
死んだ男をひっかけようとしているのか…妄想は膨らむ。



地獄には畜生道修羅道、餓鬼道など地獄の中にもいろいろなお部屋(と認識している)があるんだけど、それはまるで映し世なんだよね。すごく気持ちが悪いくらいに。


例えば修羅道は「戦いに明け暮れる殺伐とした世界」。
例えば畜生道は「弱肉強食の動物の世界であり、もっぱら使役される」。
例えば餓鬼道は「上と渇きに苦しみ、水も食料も与えられない」。

というように一般的に説明されているんだけど、聞くたびになんだか耳が痛い。
しかしこれをよくよく考えてみると、今を生きようが死のうがみな地獄じゃないか、という結論から開き直りができる。
これは地獄を知る(≒死後の世界観を知る)利点の一つだと思う。


しかしながら今も昔も、エロくてグロイことに人間は好奇心がわき、その方面で創造力の豊かさが発揮されるようだ。地獄様相もバラエティに富む。
登場人物の多さ、裁きの多さ、地獄の部屋の多さ、罪の多さ…数えたらきりがない。
多分地域差もあると思う。

この雑誌では東京23区内の閻魔堂(地獄絵や閻魔さま信仰があるお寺さん)の案内があるのだが、23区内の著名なところだけで30個ある。一つの区に2つ以上あるところもある。閻魔さま、大人気である。


時代背景で行けば、江戸時代に閻魔信仰が盛んになったそうだ。
その理由としては、地獄の裁判官にして十王の最高権威である閻魔王が、この世とあの世の境目である冥界にいる。そこから転じて町や村の境界の外からの厄災から護ってくれると篤く信仰されたのだそうだ。


どういうきっかけで閻魔にそんな力があると思ったのか、そこが知りたい。
というわけで、どこかのお寺さんでやっている「絵解き」に今後参加してみることにした。(絵解きとは、掛け軸に書かれた絵などをお坊さん(住職)が解説してくれるのである)


過去と現代を繋ぐ一種のインタープリテーター:住職。かっこいいな。



オリンポスや日本神話の神々が人間の自堕落的な面を現しているのだとしたら、地獄の獄卒(鬼)たちは人間のサディスティックで相手を痛めつけたい、相手より優位に立ちたいエゴイズムを現しているのかもしれないなぁ。


本誌で意外にツボだったのが「九相図」。
元来、出家者が自分の肉体への未練を断ち切るために生まれた図なのだそうだが、とにかくリアルでグロくて酷いいのに美しい。人体においての諸行無常を現している。


ネットが発達した今、何ともない美女の腐敗図かもしれないが当時の人々にはこれだけグロテスクな図もなかっただろう。これは確実に怖いもの見たさで見て後悔するパターンである。


奥深き地獄絵から始まる地獄への案内。
「自分や社会を見つめ直すきっかけになるかも」と思えば、意外に楽しい旅かもしれない。