short peace 「九十九」

「カエル」と、カサを差しながら消えていくあのセリフは「笠返る」の暗示か。


あらすじ
***
舞台は18世紀。
深い山の中で道に迷い、さらに運悪く雷雨に見舞われた男は、何かに誘われるかのように朽ちかけた祠にたどり着く。

雨宿りの場として祠の中に入った男は、ご神体のように奉られたガラクタ目にする。

疲れから、男が目を閉じた瞬間、祠の中は突然別世界の部屋へと姿を変えていた。

目の前に現れたのは、使い古されて捨てられた傘、流行が過ぎて見捨てられた着物らが意思を持った姿だった。

付喪神」となった古道具たちは、打ち捨てられたために怨念を抱く邪な存在となり男に迫る。

その姿を観た男は、古道具たちを繕うことで再び「道具」となる道を示す。

しかし、男の前に繕うことさえ不可能なほどボロボロとなった巨大な付喪神が姿をあらすのだった・・・。


(パンフレットより抜粋)
***

18世紀のお話。
日本では江戸時代中期〜後期に当たる時代。
旅人が一人、雷雨の中で祠に雨宿りするところから物語はスタートする。


祠に入る前に旅人の笠が飛ばされるのだが、
どのようにして改修されるのかが楽しみだった。
(大概、自然現象にて飛ばされる主役や準主役の持ち物は戻ってくる。
先の「風立ちぬ」でのヒロインの帽子もそうだ。強引な解釈)


「人に遣われてこそ最上の喜び」と言わんばかりの九十九神が、
人々にうち捨てられ悲観に暮れている。
”類は友を呼ぶ”の為か、それが沢山集っていて、
旅人を「こいつは救ってくれるのか」と試そうとしている。

昔話の妖怪(≒神)は、人を試したがることが多い。
特に道に迷った旅人が、その試し(quiz)に合う確率は高く、
道徳に沿う答えや、時にトンチを聞かせた答えなどで
人ならざるモノたちからの試練をかわしていた。
そんな伝え話から人々はそこからユーモアや
日ごろからの心構えを汲み取っていたのだろう。


さて、作中の旅人は傷心の九十九神をひょいひょいと繕って、
使えるように仕立て上げている。
傘も反物も綺麗にしあげていて、感心しきりである。

「はぁ、昔は修繕屋さんが行脚していたのか」と調べてみると
結構な業種に分かれて、そうした○○屋さんが存在していたようだ。
http://www.simofuri.com/recycle/recycle.htm


その反面、今朝ゴミ出しをしたばかりの私は
「あぁごめんなさい、ごめんなさい」と心の中でしきりに謝っていた。
サスティナブルだ、エコだ、3Rだと世間で唱えられていながらも
大量生産消費社会の渦中で生活している私にとって
九十九神の存在はこれまで捨ててきた生活品の怨念の姿にも見えた。


そんな風に慄きながらも、この作品の色彩づかいが「モノノ怪」のようで親しみを覚えた。懐かしい。


さて。


「あぁ、寄木細工をとりいれるとは粋だな」
「あぁ、富士が見える山となれば箱根か」
などと映画を観ながら流暢に考えていたのだが、
パンフレットの木原氏による解説を読んで唸った。

寄木細工は箱根の特産であり、絵柄は富士。
また寄木細工は、雑木(使われなくなった材)を使って作られる寄せ集めの細工。
旅人の笠には「萬修理屋」の文字。修理屋の道具入れとしてこれ以上のものは無。
そして最後に大きな富士。

綺麗にまとまった話じゃないですか…(感嘆


人もモノも、経年劣化するものである。
それはただ「生きている」のではなく、誰かの為に生きているからじゃなかろうか。
「ご苦労さま」という労いの気持ちは、万物に共通するのだなぁ…と。


山寺さんの声当てもばっちりでした。
隣の隣の人、つられあくびしてた笑


監督の森田修平氏は「FREEDOM」も手掛けている方でした。


九十九
森田修
2013