ザ・ウォーカー

聖書をアルカトラズまで運ぶ旅


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世界で一冊だけ残る本を運び、30年間旅をしている男イーライ。
本に触れる者をためらわずに誰でも殺すイーライだが、彼は旅の目的地を知らず、「西へ向かう」という手掛かりだけを頼りに歩き続けている。
そんな中、彼の前に、本を探し続ける独裁者カーネギーが現れ…。
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「世界で一冊だけ残る本てなんだろう!!!ワクワク!!!」と24時間前にwktkしていた自分を絞め殺したいぐらいに、この映画を観終わった後に残念な気持ちに。期待していたのは「一冊の本」が聖書だったことにショックが余りにも大きかった。


でも話の展開としては良くできていて、落とすところできちんと落としてくれる。だから、映画を観終わった後に「これは聖書でなければできなかったストーリーだ」と納得ができるし、ある意味で気持ちがいい。


この作品での「聖書」の位置づけは一つのツールとしてであって、伝えたいことは聖書の大切さではないところが単なるキリスト教崇拝の映画とは違うところ。単なるキリストの素晴らしさ経典の教えを見たいのであれば「奇跡の丘」でも見てればいいと思う。



ストーリーが進むにつれ、主人公のイーライの並外れた強さと、凄まじい執着心をもった敵、カーネギーのやりとりが面白くなってくる。身一つで本を守り抜くイーライと、どんな手段を使ってでも本を我がものにしたいカーネギーの対立がいい。付け加えれば電気も何もない時代に車を動かし、手動機関銃をぶっぱなすカーネギーのやり方がとても清々しい。


登場人物はとても少ないけれど、キャラ立ちしている人物が多い。荒野に住む夫婦が私のお気に入り。こんな時代にたくましく生きる彼らの食物は人肉。そうだよね、そうでもしなければ生きていけないよね、と同情すら覚える。



結局イーライとソラーラは長い旅路を踏破し、カリフォルニア州アルカトラズへ到着する。アルカトラズまでの手漕ぎの船のあたりでは細かいことが端折られ、そこの管理人に無事に保護される顛末が描かれる。本を手に入れたカーネギーはそのころ絶望の淵に立たされるのであるが、それはまぁ映画を見てください。


カーネギーの聖書への執着心の根源は、聖書による人々の支配。自分の街を制覇し、拡充し多くの人を”自分の人々”とすること。人々の統率に聖書を使おうだなんていう考えがまず悪者の考えだよなぁwと思いつつも見ていました。でも聖書の政治利用は今に始まったことではなく、古代ローマ時代から延々と続けられてきたもの。荒廃した世界にそうした導き書を使って人々を統率しようと考えるのはある種スマートなことだよね、うんうん、と妙な関心をしてました。


ストーリー全体でキリスト教の暗示的な何かがあるのかと思いきや、薄っぺらい私の知識では補完しきれませんでした。まぁでもブラインドの人々が多く出てくるところは、ある種キリスト教的な部分でもあるかも。ハンディを持つ人たちの登場回数は、聖書の中でも多く、そうした人々を治癒する奇蹟をキリストは行っていたしね。この映画で、そうした人々が自分のハンディを治癒、完治するシーンはないけれども、混沌とした世界を浄化するという意味ではある種の「治癒」かもしれない。



全てが最後のピースの為にきちんと整列させられて作られていて、最後を知ると途中の出来事に関する「?」が増える(整合性の取れない箇所がいくつかある)けどそんなこと気にしない。だって、キリストの奇蹟だって整合性なんかあったもんじゃないしね。



the book of Eli
2010
アルバート・ヒューズ