眠れぬ夜の仕事図鑑

今日、イメージフォーラムで「眠れぬ夜の仕事図鑑」見てきた。
http://nemurenuyoru.com/
(突然音楽始まるから気をつけてね。)


「プリチャピ」「いのちのたべかた」作ってるゲイハルター(名前でまずドキっとする)監督が作ったやつ。


淡々と映像撮ってるだけで映画としてなりたつのが、まず凄い。
監督のプレゼンがうまいのか、売り込みがうまいのか、本当に構成がうまいのか。
何より「いのちのたべかた」がヒットしたから、
こういう映画が受け入れられる土台ができたのだろう。
インタビューもオチも用意されてないので、
映画を観て自分がその映し出される対象に興味を抱かなければ
面白さを感じることはできない。本当に淡々とした映画。
(私自身が映される映像すべてにその気持ちを抱いているかは別である)


”ヨーロッパ10カ国を旅し、(中略)知っているようであまり目にすることのない夜の仕事の裏側をとらえています。私たちが当たり前のように享受する便利で安全な生活はどのようにささえられているのでしょうか。”-映画ビラ抜粋-


昔は東京は「眠らない街」という印象を持っていたけど、今はどこもかしこも24時間が当たり前になりつつある。人間の行動時間の概念がテクノロジーの進歩によってだいぶ変わってきた。もちろん、テクノロジーが発達する前も、人間の行動時間と考えられていた昼以外で活動する人はいたがごく少数で、マイノリティだった。でも、今はそれがマジョリティとなって、人々の価値観や行動概念をがらりと変えてしまった。

それでもやはり「夜」の仕事は、人々にとって“特別”だったりマイノリティの匂いがする。だからこそこの映画が作られた。


映画作家の想田さんは「現代文明が侵蝕しボロボロにしたのは、海、川、森、やまなどの空間だと思っていた。しかしこの映画をうっかり見てしまった僕は、そのりすとに【夜」という時間の観念を付け加えざるを得なくなった。(後略)」と言っている。現代文明やら空間の対象の考え方もいろいろあるかと思うが、なんとなくこの言葉がすんなり受け入れられた。


夜という時間は、一昔前は誰もがその闇に従わざるを得なかった空間でもある気がする。恐れられていた夜という空間が、今ではそうではない。


長ったらしくなったが、現代人が侵蝕してしまった「夜」という時間・空間の中で仕事をする人たちを淡々と撮った映画。”昼間の生活を支える”というのはとても広義的な捉え方で、その人たちが夜働く理由は必ずしもイコールではない。ただ、単純に夜でなければできない仕事でもあるし、偶然夜になってしまった仕事もある。


「いろんな仕事があるけれど、夜のお仕事ってこんなものもあるのね」というスタンスで観るべき映画だと思う。仕事図鑑だし。ある意味、「陽の当らない」職業もちょいちょい出てくる。二重の意味での「夜」か。


そしてこういうマイナーな映画に母校の教授・辻信一氏がよくコラム書くんです。国際学部に入学してたら、多分この人のゼミ取ってただろうなぁなどとも。友人が一人、彼のゼミ取ってましたが今となっては羨ましい。


話が逸れました。
「夜」というディープな世界へ、ようこそ。