チェルノブイリ・フォーエバー

2011年から25年後の2036年
日本でも同じ同じ現象が起こりうる、かも。



あらすじ
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25年前のチェルノブイリ原発事故で、甚大な被害を受けたウクライナ

番組は、原発の周囲30キロの地帯「ゾーン」を訪れる若者たちに密着。そこでの体験や、当時を知る人々の話などを通して、チェルノブイリと向き合う姿を映し出す。
そして、番組は原発事故の処理がいまだに続いている現状を伝える。独占入手した石棺内部の映像も紹介。

さらには原子力問題の専門家や、地元の医師などのインタビューを交えながら、事故が風化するなかで、今も後遺症に苦悩するウクライナの葛藤を描く。

(一部中略)
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チェルノブイリ原発事故から25年後。
その土地で生活する若者たちは、事故をどう見ているのか。



100,000年後の安全で「後世に伝える」ことを必死こいて考えてた大人を見た後に、この作品をみれたのは良かったな・と思う。「伝える」という行為を対比して見れるから面白くて。

私も23歳で、チェルノブイリは教科書やテレビなどを通してしか知らない。現地で生きる彼らもまた同じ。その状況下における彼らのチェルノブイリに対する考え方は、私とあんまり変わらない印象を受けた。

もちろん、インタビューを通して私が感じたことであるので全て同じ感覚かどうかはわからないけど・・・でも彼らにとって、この事故は大変な出来事であり、忘れてはいけないものだと承知しながらも過去・現在・未来のチェルノブイリに対する関心や興味は、薄い。


私自身のチェルノブイリの事故についての関心は彼らとあまり変わらないと思う。事故のことがヒストリカル・チャンネルでよく纏められてて、何回か見て事故の原因・概要は知ったし、関連書籍もいくつか目を通してたので巻き込まれた一般市民(原発で働くお父さんのいる家族の話とかね)についてもちょっとは知っている”つもり”ではいたけどね。


でも、その事故が起こった国で今生きている人たちがどう考え・どう思って・どう行動しているのかを知ることはなかった。だから、この作品を観ることは凄く良い機会だったな。


だって、ここに映る若者が25年後の日本の若者にも置き換えられるんじゃないか・って思って。全く同じになるかどうかは、震災や事故を経験した世代がどう伝えていくかによると思うのだよね。
そう思ってみていると、このウクライナの人々は25年後の私たちのような気もして。



こんな事故がありながらも、ウクライナでは原発が新たに22基建設予定。
こんな事故がありながらも、日本では原発推進派が多数存在している。
こんな事故がありながらも、世界から原発はなくならない。


なんかなー・・・同じじゃんね、考えてることしてること。
人間ってなんて馬鹿馬鹿しい生き物なんだろう。
原発推進派の人がいても良いと思うよ、言論の自由もあるし。
でもちゃんと話を聞いてみたいなぁ・・・
反対派と推進派ってたぶん論点が違うのだろう。
そういえば身の回りで、推進派の人があんまりいない。
そういう自分は、反対派だけど。

まぁ、それはそれとして話がリンクするけど、稼動している原発でもこんな事故が沢山起こるんだもん、地下に眠る核廃棄物が無事に100年も過ごせるわけないと思うよ。ましてや10万年だなんて・・・gkbr

人為的ミス、自然発生的事故、無事でない可能性を語れば何でもありうる。
理由が根拠がはっきりしないもの、憶測だけのものばかりだけど起こった後に「予想外のできごと」として処理して欲しくない。何の根拠もない憶測や願望ばかりで気持ち悪い。すみません。
でもさ、自分で自分の首を絞めてどうする。
てか、無事であるという可能性が如何に少ないか。


”後世に伝えること”
難しいね、やっぱり。でもほら、ちゃんと事実や体験をFace to Faceで伝え合える場がないと、風化すると思うんだよ。別に家族同士だって良い、友人親戚親兄弟教師近所のおばちゃんおじちゃんとかさ。
黙って”なにもありませんでした”とするのは無理だけど、黙り続ければ年月が・時間がそれを可能にさせてしまう。


チェルノブイリ事故後のウクライナでは、事故の風化による関心の薄れ、事故の後遺症に悩む人々のケア、そして何よりチェルノブイリ原発の今後の処置に関してと人々の葛藤は多岐にわたる。


日本はどうだ。
日本の25年後は。




チェルノブイリ・フォーエバ
原題:Chernobyl 4 Ever
公開:2011年
監督:アラン・ド・アルー


http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110509.html