ホテル・ルワンダ

久しぶりの更新でございます。


あらすじ
***

1994年、ルワンダ。この国では長年、フツ族ツチ族が敵対しあっていた。そしてついに大統領の暗殺を機に、フツ族民兵によるツチ族の虐殺が始まった。高級ホテル、ミル・コリンの支配人ポールはフツ族だが妻のタチアナはツチ族だった。自分の家族と隣人たちを救うため兵士たちと取引をしたポールはどうにか事なきを得たが、全員ミル・コリンに閉じ込められてしまう。


虐殺は次第にエスカレートしていたが、国連兵士がガードしている海外資本のミル・コリンにはさすがの民兵たちも手が出せなかった。ミル・コリンはさながら難民キャンプのような様相を見せ始めていた。やがてこの状況を収めるはずの国連軍が到着する。

しかしそれは、ルワンダ人を助けるのではなく、外国人を国外避難させるのが目的なのだった。見捨てられたことを知ったポールは、自分が黒人であることを強く意識し、何とか人々を守るために手を尽くし始める。ホテルの親会社の社長に連絡して、襲い来る軍を止めるように頼み、避難民たちには海外の要人にコンタクトを取って援助を求めるよう促す。


その一方、軍の将軍に取り入ってホテルを守るように約束させる……。そんなポールの努力の甲斐もあって何組かの難民が国外に避難できることになった。しかし空港につく寸前で民兵たちに襲われ、命からがらホテルに逃げ帰る羽目になる。

ついにミル・コリンも襲われ始めたが、その頃一方では、ツチ族の反乱軍が、フツ族の軍に取引を提案していた。フツ族の捕虜と引き換えにホテルの人々を安全地帯に逃すというものだ。ついにホテルを出、安全地帯へと向かう一同。しかし、そこにはフツ族民兵が待ち受けていた。虐殺されそうになった一同を助けたのはツチ族の反乱軍だった。

ようやく安全地帯に逃れた一同。そこでポールたちは、生き別れになっていたタチアナの兄夫婦の子供たちと再会を果たすのだった。

***

ホストファザーが”いい映画だった”っていうのを思い出して鑑賞。といっても1ヶ月近く間が空いてしまった。しかもその思い出したきおく5年以上も前・・・


いい映画の基準っていろいろ人や映画によっても変わるけど、この映画のいいところはストーリーなんじゃないんだろうかと思った。別に撮り方とか、心理描写とかが特段に凝っているわけでもない。けど、画面から伝わる旋律とか恐怖とか、リアルに起こっていることがほぼ非日常。その中で、主人公であるポールがいたわる家族や他人愛(アガペー的な)のような気持ちが日常のものとして組み込まれている。だから余計、彼の行動が結城と英知に満ちていて、とても素晴らしく見える。もちろん、他人様への気遣い、頭の回転の速さ、決断力、行動力、交渉力、どれも素晴らしいのはもちろんなんだけれど。


当たり前の世界っていうのは、自分から見たものでしかなくて、他人が見ている世界は自分の当たり前ではない。もちろん、国を離れればそれはもっと鮮明に解るし、嫌でも気付かされる。


日本だって昔は袖の下は日常茶飯事、それで万事スムーズにことが進んでいたのだろうけど、ここでは今だって起こっていることだと思うと、実際良いのか悪いのかわかんない。(もちろん、お金のチカラで物事が進むのは悪いことだって言う認識はあるよ)”みんな平等であるべき”という考えは毛頭なく、金が全てなんだろうな。


脱線しました。


ホテル・ルワンダ、確かにいい映画。主人公の機転の利かせ方、ハプニング、まさかの展開・・・これがリアルに起こっていたとは想像できない。しかし!しかしながら私はやっぱり板ばさみになる、そして自分のことしか考えていないビジムング将軍。賄賂を要求するのは当たり前、賄賂の有り無しに関わらず信頼されることとか人を信じたり守ろうとすることを彼は知らないんじゃないんだろうか・・・と思ったり。何が貧しくて、何が富んでいるのかわからないが、彼のような人は心が貧しいなぞと思ってしまったりする。

とにかく、自分の出世を考えつつも、戦争で負けたら、戦犯にされたらという恐怖でどっちつかず。お金のことばかり頭にある(民主主義国家の元で暮らす人だって同じような人いるけど)ような彼の存在が結構心地よかったです。


いい人ぶる国連の人間よか、こっちのほうが人間としてありのままというか、可愛げがあるというか。国連の人の無念とかやさしさとかももちろん理解は出来るよ。


自分の欲ばかりにとらわれて、ずぶずぶと泥沼にはまっている姿って言うのはどこかこう親しみがわくというか。


久しぶりに書いたのに、こんな内容になっちゃった。でもそういうところが自分の楽しむポイントだということを改めて確認した感じになりました。まる。



ホテル・ルワンダ
原題:Hotel Rwanda
公開:2006
監督:テリー・ジョージ