風立ちぬ

庵野さん棒読み…
(以下、ネタバレです。)



あらすじ
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少年の頃から飛行機に憧れ、東京の大学に進学、ドイツへの留学を経て、航空技術者となった堀越二郎

夢や憧れ、恋、やがて近づく戦争など、零戦を設計したことで知られる彼の若かりし頃を描く。

http://movie.walkerplus.com/mv52228/
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豪華声優陣と謳われているが、庵野さんに限っては普通の人が普通に声当てした印象でした。「王立宇宙軍オネアミスの翼」での森本レオをイメージしていたが、出だしの一言で打ち砕かれた感がある。


映画そのものについて、宮崎監督は戦争賛美でもないし、あの頃の時代を美化したいわけではなかったという。その時代に生きた人、自然、街などをそのままの姿で描いただけなんだろう。

堀越二郎が、零戦好きな人や飛行機が好きな人の私物化になっている節があることも、パンフレットのなかの対談で語っている監督。自分にも自覚があるのでとても耳が痛いのだけれど、自分が好きな分野の第一人者やその時代の先駆者をまるで神のように崇めてしまうのは人間の性ではなかろうか。強いものに寄り添いたい、神に従う信者のような。


まぁそんなことはどうでもよく、堀越二郎というキャラクターを通じて一人の人間が、自分の思いにまっすぐに生きることの潔さを感じた。戦争に巻き込まれたりなどの不本意な環境が周りにあるとしても「自分が作りたいのはただ美しい飛行機である」という想いが純真すぎて辛くなる。


自分の時間が限られた人間というのも、決断に対する想いが強い。ヒロインの奈穂子のその姿も心を打った。育ちが良くて、まっすぐで、ピュアで色気もあって才色兼備とは彼女のことだろうと。ジブリのヒロインの中でもここまでカンペキな女性はあっただろうか。

「自分の役割を心得ている人間ほど、ここぞという時に力を発揮する」というのは仕事での経験だが菜穂子はそれに値する女性だった。最後、書き置きをして去っていくシーンは黒川夫人と同じように自分も騙されていた。今思えば、垣根沿いを歩く彼女の背中には愛すべき人の元を去ると言う強い決意が見えていたように思う。

しかし、あのシーンは今でも思い出して泣いてしまう。


あの時代は、人々にとって辛いことが多々起こった年代でもある。
辛い辛いという側面はあまり見せず、あくまで漫画的にあの時代を切り取って作品が出来上がっている。関東大震災のシーンはさすがに鳥肌が立ち、嫌でも311を思い出してしまって辛いなぁと思ったが、経験があるからこそこのシーンに気持ちがシンクロするという良いのか悪いのか、甲乙つけがたい感情も湧いた。


戦争の始まりも、終盤も、終結後も、日本にとって決して明るいものではなかった。その中でも二郎というキャラクターは菜穂子と同じく会社の中で、社会の中で、自分の中で果たすべき役割のようなものを見据えて生きていったのではないだろうか。


カプローニおじさんがあらわれるふわっとしたシーンや、二郎と菜穂子が語らう切ないシーン、仕事に打ち込む二郎の潔い決意(まるで2月の早朝の空気のような)が合い混じってこの作品が生まれている。


カプローニおじさんという主観的なキャラクターが、二郎や観客に「僕のしたいことはこうだよ。君はどうなんだい」という問いかけをしてくる。観ている間に二郎が自分になる。女性はもしかしたら菜穂子の気持ちを考えてそれどころじゃないかもしれない。



二郎というキャラクターが導く物語の世界に、次第にゆっくりと嵌っていく。
二郎が割とニュートラルな人格だったのもよかった。ひょうきんでもあり、飄々としている風でもあり、実直で、素直で、…いいとこづくめだな。
それで、ある瞬間に気がついたとき、自分の憧れが彼らの日常に溶け合っている。
完璧な人生というか、憧れるに値する人生というか…成功願望に溺れているからかな。


「力を尽くして生きること」は劇中にも出てくる言葉だそうだが、この作品の代名詞として最適ではないだろうか。力を尽くして生きる。風が立つ限り、人は力を尽くして生きねばならぬのだ。


さて、吉村昭の「零式戦闘機」でも読みましょうか。



風立ちぬ
2013
宮崎駿