ザ・マスター

いぶし銀のホアキン・フェニックス


あらすじ
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第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。
やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結

だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。


その男、“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。


マスターは“ザ・コーズ”という団体を率いて力をつけつつあった大物思想家だった。独自の哲学とメソッドによって、悩める人々の心を解放していくという治療を施していたのだ。


1950年代。社会は戦後好景気に沸いていたが、その一方では心的外傷に苦しむ帰還兵や神秘的な導きが欲されていた時代であり、“ザ・コーズ”とマスターの支持者は急増していった。フレディにもカウンセリングが繰り返され、自制のきかなかった感情が少しずつコントロールできるようになっていく。


マスターはフレディを後継者のように扱い、フレディもまたマスターを完全に信用していた。そんな中、マスターの活動を批判する者も現れるが、彼の右腕となったフレディは、暴力によって口を封じていく。マスターは暴力での解決を望まなかったものの、結果的にはフレディの働きによって教団は守られていた。


だが酒癖が悪く暴力的なフレディの存在が“ザ・コーズ”に悪影響を与えると考えるマスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は、マスターにフレディの追放を示唆。フレディにも断酒を迫るが、彼はそう簡単にはアルコール依存から抜けることができなかった。やがてフレディのカウンセリングやセッションもうまくいかなくなり、彼はそのたびに感情を爆発させ、周囲との均衡が保てなくなっていく……。

http://movie.walkerplus.com/mv51714/
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1950年代のアメリカはアメリカンドリームの黄金期と呼ばれている。
その背景には、第二次世界大戦終結があり、
この戦争の帰還兵たちは故郷へ戻るや否や、大量消費社会を築いた。
しかしながら、彼らは自らの社会がもたらした好景気の中で、トルーマン・ドクトリンや赤狩りに代表される政治的社会不安から人生を見つめ直し、心理を探し求めるという新たな文化の中に埋もれていった。そうしたなかで、新興宗教が台頭してきたのが1950年代初頭である。

物理的/精神的/金銭的に人生をより豊かにしたいという思いが、心理的安定を促したのだろう。

この映画で描かれるのは新興宗教に嵌るアル中帰還兵なんじゃないかと、映画を見る前に思っていたが、いざ見てみるとそんな簡単な話ではなかった。もちろん、映画を見る前からJ.フェニックスがアカデミー賞ノミネートという時点で、映画への期待は膨らんでいた。


代理家族のような新興宗教団体。その中で誰も/何も信じず異色を放つホアキン・フェニックス演じる主人公フィレディ。
自分自身に縛られながらも、その他の思想には(なかなか)簡単に染まらない。
そうはいいつつ、父親的もしくは母親的慈愛を持つランカスター・ドッド。

互いが持っていない安心スポット(と私は呼んでる)を探りながら、次第に共依存に陥る二人。
どちらが一方的に求めているのではなくて、どちらも同じぐらい必要としあっている間柄。

「ふたりの関係はまさに愛三混じったラブ・ストーリーといえると思う」とポール・アンダーソン監督。
「フレディとランカスターはおたがいに欠けたところがある、まるで陰と陽のような存在なんだ」とホアキン・フェニックス

愛や絆といった言葉が一番ふさわしいのかもしれない。
男と男の友情、師と師弟の絆、父親と息子の愛情がこの二人のやりとりから感じることができる。

帰還兵として傷ついた人の心を安らかにさせるのは、
物理的/金銭的な豊かさではなくて誰かの愛情に触れることなのだろう。
人はどこかで自分に無いものを探し求める。
その究極がこの映画に現れているような気がする。


ポール・トーマス・アンダーソン監督の注目作は、「there will be boold」かな。
こちらも見てみたい。

ザ・マスター
THE MASTER
2013
ポール・トーマス・アンダーソン