ありあまるごちそう 

ヨーロッパの食糧事情から観る世界とは。



あらすじ
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飢餓の問題を、食品流通の観点から指摘するフード・ドキュメンタリー。


フランス、スペイン、ルーマニア、スイス、ブラジル、オーストリアなど世界各国での撮影を敢行。


飢餓問題の第一人者、世界最大の食品会社をはじめ、漁師、農家、家畜業者などに徹底取材し、経済、食料廃棄など食への問題提起に考えさせられる。

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うち大学の経済学部の授業では、経済学の基礎の基礎は学習しない。



大学1年生のときの経済学の基礎のクラスで、教授からそう言われた。偏差値の高い大学ではどうか知らないが、うちのような下流大学はそういうスタンスらしい。その教授曰く「経済学の基礎の基礎をやろうとすると、膨大な時間がかかるし、何よりそれを理解するための頭が必要」みたいなことを言われた。もっと婉曲に言ってたと思うけど、要するにそんなことを言っていた。



経済学以外の学部の状態はわからないが、つたない頭脳を使いながら”なるほど、複雑な事柄は基礎の基礎より今ある「概念」や「通例」、すでに「立証されたこと」を理解していくんだな”というのをふっと思ったことがある。




”この数十年間、テレビでは「飢えている人々」の映像が繰り返し流されている。(中略)しかし、飢餓に苦しむ人は、減るどころか、むしろ増加傾向にあるという。今、求められているのは、付け焼刃の援助ではなく、「メカニズムの理解」と「流通の変化」だ。なぜ、彼らが飢えるのか?という根源的な問題に光を当てることだ。”

この映画は食糧問題から飢餓問題に焦点を当てて作られている。しかしながら、この映画についてなんのテーマやヒントも与えられずに観た場合、飢餓以外のいろんな問題を感じると思う。理解するんじゃなくて、感じる。



『飢餓について根源的な部分で考えることが必要だ』とパンフレットの始めに書かれているが、根源的な部分を理解していくのはすごく時間も労力も必要で、情報もそれらを体系的に考えて根源的な問題を見つけ出す理解力(頭脳)も必要なんじゃないかと思ったりする。経済学の講義と同じで、結局複雑なものなんだと思う。(もしくは、わざわざ複雑に捕らえてしまっているか)



だからといって、複雑だから専門家に任せておけばいいという話ではない。学問で解決できることではなくて、一人一人の行動によってしか解決できない問題にまで膨れ上がっているからだ。(もともと学問で解決できるような社会的問題は一つもない。学問は問題を解くヒントになるだけ)



んで、この映画は監督の「なんで?」という想いが行動につながって生まれた産物。彼の場合は「食糧→飢餓」にスポットライトが移っていったらしい。当然、映画の要素もそれらが強くなる。生物多様性だとかは二の次のテーマ(私の中では重要だけど)。でも「食べ物→人間」にスポットライトが映っていくことで、人々は”同情”できるんだと思う。だからこそ、もっと身近に&真剣に考えるようになる人も居るのかもしれない。だってそれが将来の自分の姿かもしれないからさ。



全体的に言葉も音響も少ない。淡々と映像が流されていく。流れていく映像はどれも違和感を感じるものが多かった(個人的に)。でも、この映像に違和感を感じないで「これが今の世界でしょ?どうしろっていうの?」と感じる人のほうが、もしかしたら今の世界では正常なのかもしれない・・・という考えが頭をよぎった。





アウトソーシングは、工業製品ばかりに特化していくものだと思ってたけど、農業が工業化した今は農業ですらアウトソーシング。日本の場合は戦後からずっとそうか。今の食糧事情は矛盾ばかり。世の中矛盾だらけ。少なくとも、自分の意思と行動は矛盾しないように生きたい。そう思った映画でした。まる。



ありあまるごちそう
原題:We feed the world.
公開:2011
監督:エルヴィン・ヴァーゲンホーファー